このブロウは社会学かぶれの自分が、日々過ごす中で感じた事、読んだ物、多々ある中、適当に思った事をちょっと社会学的に見てみようか、程度のブログです。


by gsocio

mixi日記から見るフック

f0192765_19114026.jpgmixiのニュースに関する日記を読む事がある。中には、おっと思わせる日記もあるのだが、大体は感情論的な物、笑えるねた、または簡単なコメント程度の物が殆どだ。

日記を書き公開すること自体が全体としてはまれなので、これを見て全体とは捉える事は出来ないのだけれど、これはこれで興味深い。

ネットの発言は匿名性等の関係から過激になりやすい向上がある。ニュース記事に関する日記も過激にはなる。しかしながら、マイミク制度があるミクシイにおいては近い友人に自分の過激な発言が読めれる事になるのでミクシイは完全な匿名性は存在しえない。これはこれで興味深い。

もちろん一人で二つのアカウント持っていたり、マイミクにリアルな友人が一人も居ないなんて事もありえるのでなんとも言えない。しかし、一つの流れとして存在している。

その流れのなで、障害者が加害者または被害者になる犯罪に対する、日記の反応の違いが興味深い。障害者が犯罪加害者になる場合は、即死刑や隔離するべきと言った日記がおびただしい数をなす。また反対に障害者が犯罪被害者になる場合は、加害者を即死刑や重罰を望む日記があふれる。もちろん過激な日記や全体の流れに反する日記の中には釣りも含まれている。

日記の中で書かれる障害者は犯罪加害者の場合は危険人物であり、犯罪を犯していない障害者までもが危険とも取れる日記も目立つ。それとは対照的に障害者が犯罪被害者の場合はまるで障害者が健常者よりも格段にイノセントな存在であり、その様な存在に対して罪をなした加害者に対し重罰を望む日記が目立つ。

重罰化などの意見はネットの発言は過激化するのでと言ってしまえばそれまでだが、障害者に対する考え方が感情的であり、加害者または被害者であれ差別的である事には変わりは無い。

障害者と言う言葉による極端な二極化。ここで考えられるのは、障害者と言う言葉自体に感情のフックが存在しているのではないか。障害者と言う言葉からなる共通前提が存在し(加、被によって異なるが)それを使って多様性の中に生きるフォビアは失われた統一性を取り戻そうとしているのだろうか。


注意:ここでの障害者は一応、知的、精神障害者です。
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by gsocio | 2009-01-29 15:02 | 社会系