このブロウは社会学かぶれの自分が、日々過ごす中で感じた事、読んだ物、多々ある中、適当に思った事をちょっと社会学的に見てみようか、程度のブログです。


by gsocio

MILK

f0192765_19212343.jpg映画「MILK」はアメリカで初めてゲイである事を公表し選挙で選ばれ公職に付いた人物である、故ハーヴェイ・ミルク伝記である。

映画はミルクがもし自分が暗殺された時のみ再生すべしと残されたテープにミルクが遺書を録音している所から始まる。その中で解るのはミルクは決して若き日から志の高い人物ではなかった事や、彼が起こしたムーブメントが決して平坦ではなかった事が解る。そして彼がサンフランシスコに行くまでゲイである事を隠し、脅えて生きていた事も。

しかしミルクは会社にゲイである事がばれてしまい会社を解雇されてしまう。それをきにミルクはパートナーのスコットと共に当時の他のゲイ同様にサンフランシスコに移り住みカストロ通りにカメラ屋を開く。そして、この店とカストロ通りから全てが始まる。後にカストロ通りは世界最大のゲイタウンに成って行く。

映画の中でミルクはゲイの観衆に向けてこう言う、

「My name is Harvey Milk. I wanna recruit you」

実際はミルクがゲイではない集会等での観衆に向けて演説する時の最初の決まり文句だったのだが、この映画の中ではゲイの観衆に向けて少し違った意味合いが込められている。それは、ミルクはゲイの人々を民主主義の世界へとrecruitしたかったのだ。キリスト教社会のアメリカに置いてゲイであると言う罪の意識が場合によってはあるためか、耐え忍んできた理不尽な差別に対して、民主主義に参加する事こそが自らの生存権と、権利そして義務を守る事に繋がると言う意味が込められている。彼はクローゼットの中に隠れていたゲイの人々にだけではなく全てのマイノリティーに向けてこのメッセージを送っていた。

ミルクは決してゲイだけの為に活動はしなかった。何故ならゲイだけの為に活動すれば他の例えば黒人が弾圧され差別されようとも見ない振りをする。これでは、我々をゲイゆえに差別してきた人々と我々は同じに成ってしまう。そしてミルクは他のマイノリティーグループと協力体制を作っていく。そして終には、アメリカで最もマッチョなトラック組合までも仲間に引き入れてしまう。ミルクは決して高い理想だけを語る政治家ではなく。高い理想を持ちつつもプラグマティックに政治活動を行える所も兼ね備えていたのだ。そして、政治的野心も。

彼は演説で全てのゲイはカミング・アウトする様に呼びかける。それは彼ら自身の為ではなく、子供たちの為に。田舎で生まれた子供は自分がゲイである事に罪の意識を感じ誰にも自分がゲイである事を言えず、誰かを愛する事も出来ず愛される事もなく、希望の無い人生を送らなければ行けない。しかし、もし全てのゲイがカミング・アウトすればメディアを通じて色んな(有名人や身近な人)人々がゲイである事を田舎の子供は知り、未来に希望が持てるようになる。これはゲイだけなく、黒人もアジア人もどんな障害者も希望が無ければ生きられないのだと。

これは今の日本にも言える事だ。今日本で未来に希望が持てない人々がいる。その中には生存権が脅かされている人も多く居るだろう。未来に希望が持てないとほざく中学生のかっこつけだけではない幻滅感。共同体を失い、根が無いが為に柱にすがるへたれネット右翼。ハイパーメリトクラシー社会において、今までの積み上げた物を否定された勉強田吾作。障害があるがゆえに恋愛を諦める人々。生まれのせいで差別される人々。他にも数多くの希望を持てない人々が日本には居る。彼らにも生きていく為に希望が必要なのだ。

そんな彼らを纏め上げるリーダーや、彼に纏まる各グループのリーダーが日本には居ない。居なくも無いのだけれど数が圧倒的に少ない。日本には学問、行政、財界エリートは居ても市民エリートが少なすぎるからだ。

話を戻して、「MILK」は素晴らしい映画です。彼が暗殺されて今月27日で30年成ります。しかしそんな中、カリフォルニアでは同性愛の結婚を禁止する法律が可決されました。ミルクが目指した所はまだ遠いようです。
[PR]
by gsocio | 2008-11-29 22:53 | 映画の批評