スピリチュアル・ブームとは
2008年 11月 22日
スピリチュアルブームがいまだ続いているようです。それに関連して、ヤフーのニュースに面白いのがありました。
疑似科学やオカルト… なぜ、だまされるのか?
立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長の安斎育郎氏によると、以下引用。
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科学技術が進歩したこの時代に、人はなぜ、「スピリチュアル」にはまるのか。安斎さんは、それこそ、「なぜ」と問う力が弱まっているからだと嘆く。
例えば、携帯電話やDVDの仕組みは、説明されても理解するのが難しい。科学が進歩したがゆえに、人は自分の理解の範疇(はんちゅう)を超えたものをそのまま受け入れてしまいがちで、それが超能力などを簡単に信じる傾向となって表れていると説明する。
「ささいなことでも、『なぜ』と意識的に問い直してほしい。その背景には必ず理由があるのだから」
さらに、“インチキ”を見破るには、「そんなことができるのなら、どうしてこうしないのか」と考えてみることが大切だと言う。
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私の周りにもテレビのスピリチュアルブームに素朴に乗っかっている人達がいます。留学をする位なので、少なからず自ら考える力は有るはず、しかし何故かスピリチュアルな事を鵜呑みにしています。本人達がスピリチュアルブームをネタとして楽しんでいるなら、昔と特に変わりないので良いのですが、どうもネタで無い様な人も居ます。
スピリチュアルブームとは言っても、スピリチュアルの内容は90年代前半以前のそれと対して変わりは無い。では何故人々はスピリチュアルにはまるのか。安斎氏は、それは科学技術の発展により私達の回りにわからない物が溢れている、しかし私達はそれらを解らないまま受け入れ、使う事が当たり前になり、それがスピリチュアルブームの土台と成っていると主張している。
では、90年代前半以前の人々は自分達の周りに在った科学を本当に理解していたのだろうか?電子レンジの仕組みや、テレビの仕組みなど普通の人達は解っていなかったはずだ。
安斎氏の主張に似た現在のスピリチュアルブームに対する警告や主張は多いが、どれも実は的を得ていない。何故ならば、現代人に想像力や考える力が無くなっているから、ある種ネタでしかないはずのスピリチュアルにベタに反応してしまうと主張するが、では90年代前半以前の人々は想像力や考える力があったから、スピリチュアルのネタをネタとして受け入れられていたのか。
その様な事は無い。
現在のスピリチュアルブームはオウム事件の反動でしかない。
90年代前半以降オカルト、心霊、スピリチュアル系のテレビ番組は大きく縮小されて行く。その後10年程はこの手の番組が表立って放送される事は殆ど無くななる。そうオウム事件の後からだ。スピリチュアル的なものは危険な物として、自粛されていった。
そして、スピリチュアルをネタとして楽しむ文化が薄れていく。オウム事件の影がテレビから消えた頃、またスピリチュルをネタとした番組が始まった。しかし、ネタをネタとして楽しむ文化は10年の内に廃れていった為に、ネタが(ネタ以下のベタでさえ)マジに受け入れられて行く事になったのだ。
ネタはネタなので、そのうちネタ-マジがネタ-ネタもしくは、ネタ-ベタに成るとはず。
ちゃんちゃん。
疑似科学やオカルト… なぜ、だまされるのか?
立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長の安斎育郎氏によると、以下引用。
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科学技術が進歩したこの時代に、人はなぜ、「スピリチュアル」にはまるのか。安斎さんは、それこそ、「なぜ」と問う力が弱まっているからだと嘆く。
例えば、携帯電話やDVDの仕組みは、説明されても理解するのが難しい。科学が進歩したがゆえに、人は自分の理解の範疇(はんちゅう)を超えたものをそのまま受け入れてしまいがちで、それが超能力などを簡単に信じる傾向となって表れていると説明する。
「ささいなことでも、『なぜ』と意識的に問い直してほしい。その背景には必ず理由があるのだから」
さらに、“インチキ”を見破るには、「そんなことができるのなら、どうしてこうしないのか」と考えてみることが大切だと言う。
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私の周りにもテレビのスピリチュアルブームに素朴に乗っかっている人達がいます。留学をする位なので、少なからず自ら考える力は有るはず、しかし何故かスピリチュアルな事を鵜呑みにしています。本人達がスピリチュアルブームをネタとして楽しんでいるなら、昔と特に変わりないので良いのですが、どうもネタで無い様な人も居ます。
スピリチュアルブームとは言っても、スピリチュアルの内容は90年代前半以前のそれと対して変わりは無い。では何故人々はスピリチュアルにはまるのか。安斎氏は、それは科学技術の発展により私達の回りにわからない物が溢れている、しかし私達はそれらを解らないまま受け入れ、使う事が当たり前になり、それがスピリチュアルブームの土台と成っていると主張している。
では、90年代前半以前の人々は自分達の周りに在った科学を本当に理解していたのだろうか?電子レンジの仕組みや、テレビの仕組みなど普通の人達は解っていなかったはずだ。
安斎氏の主張に似た現在のスピリチュアルブームに対する警告や主張は多いが、どれも実は的を得ていない。何故ならば、現代人に想像力や考える力が無くなっているから、ある種ネタでしかないはずのスピリチュアルにベタに反応してしまうと主張するが、では90年代前半以前の人々は想像力や考える力があったから、スピリチュアルのネタをネタとして受け入れられていたのか。
その様な事は無い。
現在のスピリチュアルブームはオウム事件の反動でしかない。
90年代前半以降オカルト、心霊、スピリチュアル系のテレビ番組は大きく縮小されて行く。その後10年程はこの手の番組が表立って放送される事は殆ど無くななる。そうオウム事件の後からだ。スピリチュアル的なものは危険な物として、自粛されていった。
そして、スピリチュアルをネタとして楽しむ文化が薄れていく。オウム事件の影がテレビから消えた頃、またスピリチュルをネタとした番組が始まった。しかし、ネタをネタとして楽しむ文化は10年の内に廃れていった為に、ネタが(ネタ以下のベタでさえ)マジに受け入れられて行く事になったのだ。
ネタはネタなので、そのうちネタ-マジがネタ-ネタもしくは、ネタ-ベタに成るとはず。
ちゃんちゃん。
by gsocio
| 2008-11-22 17:51
| 社会系